as Artist

プロデューサコンポーザアレンジャプログラマ
プレーヤとしては、トランペットユーフォニウムソプラノ・アルト・テナー・サックスEWIベースエレキ・アコースティック・ギターでステージ経験あり。

【誕生〜】
・家の中には楽器もなく、ピアノや、ましてやヴァイオリン等を習うコトもない、音楽的にはごく普通の家庭に育つ。
・本人の音楽的才能も、学校の音楽の時間で、ハーモニカ「ラ」「シ」連続吸いができず、泣きながら練習したレベル。
・ただ、母親が音楽、というか、歌謡曲、というか、森進一大ファンで、子守歌代わりレコードを何度も聞かされて育ったのが、音楽的素地になった可能性は大きい(ただ、子ども心に、「なんで、こんなしんき○さい曲を……」とは思っていた)。
・なお、母親の歌謡曲好きを語るエピソードとして、ある年の大晦日に、幼いムスコ(つまり、ボク)が白い下痢便をして苦しがっているのに、その世話を父親に任せ、自分は紅白歌合戦を見ていたという逸話が残っている。

【1982年】(小学6年生)
・運動会の鼓笛隊におけるトランペット奏者応募になぜか合格。
(たしか)学年で3名という狭き門を通ったのはいいが、基本的な音楽知識が圧倒的に不足していたため、運指が同じなのと、なんかいい感じに音が混ざるため、ずっと(B♭)と(F)を間違えたまま演奏していた(多分、本番も)。


【1983年】(中学1年)
吹奏楽部に入部。
上記の経歴を引っさげてトランペットを希望するも、人気楽器のため、顧問独断ユーフォニウムに。
・そんな事情もあったのか、部活もサボり気味先輩達に目をつけられていたが、ある日、「吹奏楽のための民話」を演奏たしコトで、突然、吹奏楽のおもしろさに目覚め、一気にのめり込むコトに。
・この頃、友人から借りたアコースティック・ギターの勉強を独学で始める。

【1984年】(中学2年)
同じクラスの友人6人とバンド(「The Birth」)を結成。
モロにチェッカーズの影響で、テナー・サックス担当を名乗るが、楽器は持っていなかったため(笑)、主に、鍵盤ハーモニカを担当。
……と言っても、別にそういったいい感じのアコースティックバンドだった訳ではなく、単に、シンセサイザが買えなかったため。やっていた曲はTOTO(バンド初心者なのに)。

【1985年】(中学3年)
・この年に、通っていた中学が分割されため、夏のコンクールでは2部になったが、見事(?)、銀賞を受賞。
曲中(「吹奏楽のための第一組曲」)のソロも無事成功し、なんか、いい感じに部活を終了。

【1986年】(高校1年)
・引き続き、吹奏楽部に入部。
中学の間に、めでたくテナー・サックスを買ってもらうコトができたため、所有しているのを理由に、半ば強引にサックス・パートにしてもらう。
・部活内で、バンド(「ILLUSION」)を結成。当初、キーボード担当だったが、途中から、ベース担当に。
先輩達が修学旅行でいない隙を見計らって、部室にてライブも敢行。
・学外では、The Birthのメンバが高校進学でバラバラになったため、その中の数人と新バンド(「ATACS」)を結成。こちらも、途中からベースの担当に。


・ベースに関しては、部活の先輩があこがれの対象。それが、江森正敏さん

【1987年】(高校2年)
・バンドによくあるいろいろのため、ATACSのメンバから何人かと新バンド「AURORA」を結成。ベースを担当。
初めて、バンドでちゃんとした(?)ステージに上がるが、その日のコトが、長い間、強いトラウマに。
・修学旅行に、部活のアルト・サックスをカバンに入れて持って行き(おいおい)、クラスの隠し芸大会で披露。
さらに、調子に乗り、帰りの新幹線でも演奏。おそらく、今後二度とできない経験だろう。


シートが時代を感じさせる……
・部活では、夏のコンクールで銀賞に。

【1988年】(高校3年)
・またまた、バンドによくあるいろいろのため、ILLUSIONは実質的に解散。そのメンバの一部と新バンド「横田幸重とゆかいな仲間たち〜動物王国に春が来た〜」を結成。
ベースを担当し、高校の文化祭にてライブを敢行。


・恒例の部活の定期演奏会では、サックスでのソロあり、ポップな曲ではベースを弾きと、言わばやりたい放題(笑)。


……しかし、コンクールでは、無冠の帝王となり、ちょっとアレな感じで部活を終える。
野球部のみんなとは仲が良かったので、何人かに夏の甲子園予選の際の個人応援歌の作曲を依頼される。
そのうちの一人が、尾山憲一くん

【1989年】(大学1年)
・無事、大学に合格し、軽音楽部に入部。
しかし、あまりにゴリゴリジャズ体質に合わず、ほどなく退部。
・幸い、住んでいた大学のに音楽をやっていた寮生が何人かいたため、彼らと遊び程度のセッション等。
寮の新入生歓迎コンパでもサックスを披露し、若干、会場を微妙な空気にする。
・念願のウインド・シンセ(WX-7)とEWIを購入。人生で初めて月賦を体験。
・後期から相部屋になった先輩と、初のオリジナル・アルバム「THIS SPRING」をリリース。

収録曲は、こんな感じ。
CRISIS

この先輩からDTMというモノを学び、その後の音楽人生に多大な影響を受ける。おそらく、ボクの音楽的なメンタの中で、最大の存在(ちなみに、この先輩は、現在、花火屋さんをされている)。

【1990年】(大学2年)
・このころ、所属していたサークル会計学研究会)の仲間とともに、当時はやっていたTMN(タイム・マシーン・ネットワーク)に対抗し、DDT(どこでもドア・チームワーク)を結成。数曲、オリジナル曲を作成。

【1991年】(大学3年)
・前年に先輩が卒業されたため、自分でMTR(カセット・テープの4トラック)を購入し、ひとりで宅録をする日々に。
・初のソロアルバム「We are Sons of Sun!」を作成(9月14日)。
寮祭の打ち上げにて、寮生とともにテナー・サックス・トリオ(ベース、ピアノ)を結成し、演奏。


【1992年】(大学4年)
・2枚目のオリジナルアルバム「TO NEW WORLD」作成(11月13日)。

収録曲は、こんな感じ。
X'mas Road

・寮の後輩には、峰崎芳樹くんも。

【1993年】(大学院浪人)
・地元に帰り、The Birthのオリジナルメンバの一人とユニット「Bon-Ton」を結成。Wanna Be……を作成。

【1994年】(修士1回生)
・楽器に覚えのある寮生5人でバンドSSRBを結成し、寮祭にてライブ敢行。担当は、リーダベース


・3枚目のオリジナルアルバム「Fire Wind」作成(10月15日)。

収録曲は、こんな感じ。
Bragh

【1995年】(修士2回生)
・寮祭にて、寮生と複数のユニットを組み、全てオリジナル曲によるライブイベント「t-smmr SUPER PROJECT」を敢行。


・ライブで発表した曲を中心に、オリジナルアルバム「LOVE WORLD」をリリース(10月22日)。一時、寮内でヘビー・ローテーションに。

収録曲は、こんな感じ。
できん男〜恋すれど 恋すれど 我が恋は実らず じっと手を見る〜3P with T
といいユニット名といい、とにかく時代を感じさせる。

……というか、モロパク(笑)。

【この後、博士課程から就職8年目の2005年までの間、ライブは職場の先輩の結婚式2次会でギターを弾いたくらい、オリジナル・アルバムは、2枚を作成途中で頓挫と、目立った活動なし。我が音楽活動の「失われた10年」

【2006年】
・偶然入ったラーメン屋さんで見かけたチラシをきっかけに、社会人吹奏楽団楽団1mgに入団。
この運命的な出会いが、ボクの音楽面だけでなく、人生そのものを大きく変えて行くコトに。
担当は、ソプラノ・サックスに(2月24日)。
・入団と同時に、サックス・パートで、サックス・ユニットChin-Pun-Can-Punを結成。
その年の楽団の合宿でのライブを皮切りに、以後、ライブ・ハウス等でライブを敢行。

詳しい活動内容は、こちら
・団員でもある、のちのヨメと共に、楽団オリジナル曲「いちみり音頭」を製作。
定期演奏会(サンデープチコンサート)にて、いきなりソロ曲(「愛しのエレーヌ」)を演奏(10月1日)。


・職場の同期の女性とユニット「Freets」を結成し、後輩の結婚式2次会にてライブ敢行。アコースティック・ギターを担当(彼女は、ビオラ)(12月17日)。

【2007年】
・楽団で、世界一長いコンサートというギネス記録に挑戦。見事、ギネス記録を更新し、その年のギネスブック(日本版)に、楽団の写真が掲載される


・職場の同僚の異動に伴い、オリジナル曲をプレゼント(3月31日)。
・Chin-Pun-Can-Pun初のオリジナルアルバムChin-Pun-Can-Punリリース(7月9日)。

【2008年】
・職場の音楽会に再び「Freets」にて参加。今回は、ソプラノ・サックスを担当(彼女は、ピアノ)(2月8日)。


・自らの結婚披露パーティで、楽団のみんなに演奏してもらうと共に、自分たち2人でも演奏(2月24日)。



・楽団の仲間を中心にロック・ブラス・バンド「Kyoto Brass Square」(KBS)を結成。某イベントでライブを敢行(11月16日)。

【2009年】
・前年同様、職場の音楽会に、今度は同じ係の女性2名とユニット「Socials」を結成し、出演。担当は、アコースティック・ギター(2月18日)。


【2010年】
・楽団1mgを休団(6月)。
・楽団員の所属しているバンド「たっきーず」に、ソプラノ・サックス及びEWIで参加(7月)。

【2011年】
お義母さんにプレゼントするため、家族ユニット「Border x Border」で、オリジナル曲「ばぁばのうた」をリリース。ムスコ(Baby-K)も参加(2月24日)。
東日本大震災復興祈願Ore-Cicaチャリティーライブの出演を最後に、たっきーずの活動から育休のため脱退(4月17日)。

ライブの模様

【2013〜】
・再び、「たっきーず」の練習に断続的に参加。

【2015】
からさきコミックマガジンから依頼を受け、小説The Song Ends with Youに楽曲提供(11月10日〜)。

【2016】
・楽団員の披露宴にて、1日限りの楽団復帰演奏(3月19日)。

【2017】
・「Border x Border」名義で2曲発表(7月)。
 「Pal Pal Dace Project(PPDP)
 スーパーデコレーション

【2018】
・職場の新年会において「Kyoto City Serenade」をソロ・パフォーマンス。

【ブログなど】
Chin-Pun-Can-Pun Official Web Site

書斎の中の音楽論

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