2014年12月31日水曜日

こんな大晦日

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ムスメには、父親が、こう見えているらしい。
しかも、結構、特徴をとらえてる……
(「いつも、メガネがないね」と指摘すると、「だって、めがねはずしてるとき、あるやん!」と、思いっきり関西弁で叱られた)

実は、今年の年末年始は、初めて家族で埼玉の実家に行く予定だったのですが、こちらは先方の都合でキャンセルになり、その代わりにお邪魔する予定だったヨメの実家は、今度は、昨日からのムスコの発熱で、結局、オトコ2人で大晦日を過ごしています。

自宅で年末年始を過ごすのも、家族別々で年末年始を過ごすのも、子どもができてからは初めてです。
確かに寂しい感じはしますが、もう、スグに訪れるであろう、少し先の未来のシミュレーションと思っています。

幸い、大事にはいたらなそうなので、ムスコには早く回復してもらい、オトコ親ならではの、あまりカラダにはよくないから普段は食べられない辛ジョッパイモノで、オトコ同士の年始を祝いたいです(笑)。

「ソウル」を感じて演奏する

吹奏楽部(団)というのは、特にお祭りを中心に、地域のイベントみたいなモノに呼ばれる機会が多くあります。

で、その際、吹奏楽を知らないみなさんでも楽しんでもらえるように、アニメドラマ映画主題歌テーマソングを演奏するコトが多いのですが、自分が子どもだった時、おじさん達(失礼)が演奏するそれらの曲は、どうも、もうひとつツマらなかった(大失礼)記憶があります。

しかし、その原因は明らかで、演者達が、その元になっているアニメ(なり)を知らないどころか、原曲すら聞いたコトがなく、単に、楽譜だけを見て演奏しているからなのです。

我々ミュージシャンがそれらのヒット曲を演奏する場合、主に、3つのパタンがあると思います。

1 楽譜だけを見て演奏する。
2 CDを借りるなりダウンロードするなりして、原曲を聞いてから演奏する。
3 さらに、その曲だけでなく、その元の作品まで見て演奏する。

実際に楽器を演奏しない方でも、3に向かうにしたがって、演奏がよりアツくなるのは分かっていただけると思います。

では、それはどうしてなのでしょう?

自分には全くできませんが、専門的な教育を受けたヒト達にとって、ある曲を楽譜にするコトは、比較的に簡単にできると思います。
そして、その結果できる楽譜は、おそらく、ほとんど同じモノになると思います。

しかし、逆に、同じ楽譜を違うヒトが、いや、同じヒトが演奏した場合ですら、無限のヴァリエーションが生まれます。
それは、音楽を楽譜にする間に、元の音楽に含まれる膨大な量の情報が削られてしまうからです。

もちろん、音楽の楽譜化、つまり、デジタル化による恩恵は多い訳ですが、例えば、楽譜は、元の音楽の音色すら、完璧に記述できません。
ましてや、その曲の空気気分等は、言わずもがなです。

なので、個人的には、演者の中に、それらの楽譜化で失われた情報を、あらかじめ別の方法でインプットしておくコトが必要なのかなと思いますし、その程度の努力(というには、楽しいコトですが)は、当然だと思います。

さて、では、次の段階として、2と3の間には、違いはあるでしょうか?

確かに、音楽的には、原曲を聞いていれば、元曲の雰囲気により近づいた演奏ができるはずです。
しかし、その演者の中に、さらに、「あまちゃん」なり「アナ雪」なりの作品そのものがあるかどうかは、明確にコトバでは表現できないにせよ、やはり、演奏が違ってくると思うのです。

それが、漠然としていますが、その曲に込められた「ソウル」だと思いますし、それを表現する(できる)コトが、これだけコンピュータが発達した現代に、人間が演奏する意味ではないでしょうか?

もちろん、新曲をセットリストに加えるたびに、元の作品に立ち戻って全て鑑賞するのは難しいと思います。
ただ、ヒット曲を演奏する機会が多い以上、その演奏を聞いてくれるお客さんの中にはその作品があるコトが多いコトを思えば、こういった視点も、多少、必要ではないでしょうか?(て、誰に向かって言ってるんだ?(笑))

まぁ、それでも、まだアニメやドラマだったら、著作権の問題はともかく、これだけ動画サイト全盛の時代なら、以前とは比べ物にならない程、容易に見るコトが可能になりましたが、これまた、お祭り定番の昔の歌謡曲(懐メロ)を、今の学生さんが吹くというシチュエーションだと、当時の雰囲気までつかむのは、なかなか難しいと思いますが……

ユッフォ!!

2014年12月30日火曜日

「デザイン」は誰のため?

この季節、コンビニホットコーヒのお世話になっている方も多いかと思いますが、そんな中、少し前ですが、こんな記事。

痛いニュース(ノ∀`) : 【画像】 かっこいいデザインにする→利用者が分かりにくくなる→貼り紙されてデザイン崩壊 - ライブドアブログ

#セブンカフェの様子 が各店舗の工夫いっぱいで面白い - NAVER まとめ

この記事を読んでから、いろんなセブン-イレブンに立ち寄るたびに見ているのですが、確かに、各店舗で独自の(というか、独特の)工夫をされています。

スタイリッシュ過ぎて、かえって使うヒトにとって不便になっているという例は、他にも多く見られるような気がします。
よくあるのが、シンプル過ぎて分かりにくいというパターン。

例えば、某図書館について、個人的にはそのミニマムな内装は好きなのですが、初めて来る方には分かりにくいようで、そういう声が多いと、やはり、より目立つように、さらに大きな掲示をせざるを得ません。
しかし、すでに完結されているデザインの上に、あとから素人の職員が付け足すので、どうしても、見た目上はアレになってしまいます。

まぁ、それでも、利用者にとって便利になっていればまだ救われます。
中には、同様な苦情があっても(そして、職員もそのとおりだと思っても)、設計者の意向で、イスひとつ元の位置から動かすコトができない超巨大図書館もあるとかないとか……(微笑)

それこそ、ド素人の自分が言うのもなんですが、おそらく、本当に優れたデザインというのは、「分かりやすさ」(使いやすさ)と「カッコよさ」を兼ね備えているのだと思います。
ただ、それは、冒頭の例にもあるように、大きな実績を残しているデザイナのヒトですら、そう簡単にはできません。

いずれにせよ、どうしても作る側の都合で提供してしまいがちですが、できる限りユーザ・サイドの視点に立って考えるのが大切なのかと思います。

さて、年を越えて抱えているデザイン関係の仕事。
来年、果たしてウマく行くのでしょうか……(笑)

ユーフォ&サックス!

京アニ新作は吹奏楽アニメ! 「響け! ユーフォニアム」2015年4月開始 - ねとらぼ

響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~│宝島社

ごく一部の関係者向けに(笑)。

と言いつつ、ボクも"経験者"
その後、テナーサックスになった訳ですが、こちらはこちらで、昨日、こんなマンガがあるのを知りました。

BLUE GIANT 公式サイト

いずれも未見でザンネンですが、しばらく遠ざかっているとはいえ、ついつい気になってしまいます。

……さすがに、EWIマンガはないか(笑)。

2014年12月29日月曜日

「1日1食」は、もう古い?

一流アスリートが「朝食を食べない」理由。 実践したら、なぜかわかった |食の安全|現代ビジネス

結婚を機に減量を思い立ち、いわゆる朝食を抜くようになってそこそこ経ちますが、今のトコロ、よく言われる「しっかり朝食を食べないと、ちゃんとアタマが働かない」という問題はないようです(まぁ、元から働いていなかったという疑いはありますが)。

で、実質的に「1日2食」になっていたのですが、次に気になったのが、自分が最も敬愛する作家である森博嗣さんが長年実践され、最近では、南雲先生で有名になった「1日1食」

ただ、お2人の実績を見ていれば非常に興味もわきますが、しかし、まぁ、さすがに1日1食は……と思っていたトコロ、職場でこんな本をチラ見。

Amazon.co.jp: やってみました! 1日1食: 船瀬 俊介: 本

この本には、ビートたけしさんタモリさんをはじめ、錚々たるメンバが「1日1食家」(?)として、列挙されています。

そうなると、自分の根本にある「ミーハー体質」が、がぜん、疼き出します(笑)。

で、結果からいうと、もちろん、休日のような例外はありますし、どうしてもお腹が減ってしまう時もありますが、基本的に、以前のように、毎日ごはんを持って行っておかずを買ってという、ちゃんとした(?)昼食は食べないようになりました。

つまり、「なんちゃって(死語)1日1食」

もちろん、育ち盛りの子ども達や、カラダを使うお仕事の方々には全く勧めませんが、基本的にずっと座りっぱなしで仕事をし、年齢的にも、いつしか初老の段階に達している自分にはこれで十分なのかもと思う一方、自分がこんなコトができるのも、残る1食について、毎日、ちゃんとした夕食が食べられる(作ってもらえる)からだなぁ、と改めて感謝していたトコロ、なんと、ついに、こんな記事に遭遇。

【2014年最高の奇書】不食のすすめ。ー 「食べない人たち」どうすれば人は食べないで生きることができるのか。 - いばや通信

ついに、時代は「1日1食」から、「不食」(全く食べない)の段階へ(汗)。

いやいやいや、と。
ちょっと待て、と。
いくらなんでもこれはムリでしょう……と思いつつ、さっそく本書を読んでみると……

できるかもしれない(大汗)。

まぁ、若干、オカルト・チックと思われかねない表現もありますし、もしかしたら、筆者の方達は単に特異体質なのかもとも思いますが、筆致は冷静ですし、実際、社会的にも活躍されておられる方々です。

もちろん、誰も食事をせずに済めば、それこそ餓死もない訳ですし、もし、可能だとしても、そんな簡単なコトではないでしょうが、一方で、いろいろ考えてしまいました。

もし、本当に食べないで生きていくコトができるなら?

例えば、我々の「仕事」について、「食うに困る」とか、「そんなコトで、食べていけると思っているのか!」という表現がありますが、それはつまり、「生きていくコト」の中心に「食べるコト」があり、仕事とは、その直接的な手段だと考えられている訳です。

それが、もし、食べずに済むなら、生きていくために、仕事をしなくてもよいコトになります。
もちろん、生活は食費だけではないですし、家族があれば、自分さえよければいい訳ではないですが、少なくとも、これまでよりは、仕事に対して柔軟な姿勢がとれるようになるのではないでしょうか。

また、そのコトとも関連しますが、以前、前出の森さんの本で、「1食食べると3時間の睡眠が必要になる。だから、一般的なヒトは約9時間の睡眠が必要」という記述を読んだのですが(いつものごとく、出典不明ですいません)、この本によれば、不食だと、1日2時間の睡眠で十分とのコト。

つまり、現代人の大きな(最大の?)悩みである「時間がない!」も解決できます。

よく考えれば、この本にもあるように、食事には、実際に食べる時間だけでなく、メニュを考え、材料を買いに行き、作り、後片付けをするという、それにまつわる膨大な時間がかかっています。

それが、全て、不要になる。

「時間を作るためには、なにかを止めなければいけない」とよく言われますが、自分の生活を何度も振り返り、もう、これ以上、削る時間なんてないよ……と思っていたトコロ、まさか、それが食事だったとは(笑)。

もちろん、食事は、単に空腹を満たしたり、必要な栄養摂取をするだけの行為ではなく、これ以上ない娯楽喜びでもある訳です。
でも、その部分は、美味しいものを少しよばれればいい訳ですし、そうすれば、エネルギィ問題無益な殺生も、だいぶ緩和されるのではないでしょうか。

まぁ、もちろん、そんな単純には行かないわけですが、ひとつの可能性として、ご紹介。
「できると思っても
できないと思っても
あなたは正しい」

ヘンリー・フォード

2014年12月28日日曜日

忘年会

今日は、いつもの楽団一家と、我が家で忘年会でした。

そして、メインは、カニ鍋!

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……いや、普通、そういうコトじゃない……

座りっぱなし生活の弊害

「座りっぱなしの生活」が健康や寿命に与える恐るべき悪影響の数々とは? - GIGAZINE

仕事中は、ほぼ座っているので、モロに「1日6時間座っている」生活が、1年どころか、もうすでに何年も続いています(汗)。

それが原因かわかりませんが、毎年の健康診断で、どんどん血圧が下がっていますし、、自室で手袋が必要なくらい、手が冷えます。

スタンディング・デスクかぁ……
(ちなみに、以前、同じ理由で、職場のイスをバランス・ボールアーロン・チェアにしようとして、許可が出なかった経験あり(笑))

2014年12月26日金曜日

「手裏剣戦隊ニンニンジャー」

手裏剣戦隊ニンニンジャー:戦隊シリーズ新作は忍者が妖怪退治 - MANTANWEB(まんたんウェブ)
手裏剣戦隊ニンニンジャー ...

手裏剣戦隊ニンニンジャー|テレビ朝日

「妖怪」というあたりが若干アレですが、コンセプト自体は、ムスコ達よりも、むしろ、我々お父さん世代狙いのような(笑)。

それにしても、「トッキュウジャー」から、もう、1年とは……

最近は、1年も続くドラマ(4クールつーんスか?)なんて、大河ドラマくらいしかありませんが(よく知らないけど)、子ども向けとはいえ(だからこそ?)、それだけの期間続けられる世界観テーマの構築が非常に困難なのは、容易に想像できます。

いずれにしても、楽しみ。
今や、大手を振って見られる環境となったので(笑)。

インフル休暇2日目

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今日のランチは……なんだ?

一応、ムスコには、「オレンジごはん」と呼ばれている謎のオリジナル・メニュですが、なぜか、ムスメには思いの外、評判がよくて、一安心。

……というか、食べ過ぎ……

なぜ名店の味は"落ちる"のか?

本当にありがたいコトに、京都には、全国からわざわざ訪れるヒトがいるような有名ラーメン店が何軒もある。

ただ、ザンネンなコトに、どんなに評判でも、実際には行くコトができていないお店がまだまだ何軒もあるので、職場等で、

「あ〜、あのお店に行ってみたいなぁ」

等と独り言を言っていると(おいおい)、たいてい、

「あっこも、昔(昔って)はウマかったけど、最近は味が落ちたなぁ」

と言うヒトが、周りに必ず現れる。

もちろん、たまたまそのヒトが、そんなドヤ体質だっただけかもしれないが、しかし、こう何人もいるコトを思うと、どうもそれだけではなく、少なくとも本人は、本当にそう感じているのだろうと思ったりする。

では、なぜ、こうもことごとく、有名になったお店の味は落ちる(落ちたように感じる)のだろう?

あるお店が一気に有名になり、その結果、「味が落ちた」というと、一般的には、儲けを多くするために材料の質を落としたんじゃないかとか、回転を上げるために作る工程で手を抜くようになったんじゃないかとか思うだろう。
つまり、問題は店側にあると考える訳だが、果たして、本当にそうだろうか?

初めて評判のお店を訪れる時は、もちろん、味に対する期待(ワクワク)もさるコトながら、お店の雰囲気や、注文方法すら分からない状態(ドキドキ)である。
さらに、初めて食べるため、良いにせよ悪いにせよ、インパクト感動がある。

当然のコトながら、2回目以降はこれらの要素がなくなるか、少なくなる。
つまり、簡単に言うと「慣れ」な訳だが、これによって、どうしても、最初に感じた新鮮な驚きがなくなり、これが「味が落ちた」ように感じるひとつの原因ではないだろうか。

まぁ、毎日ご飯を作ってくれているヨメに、心底呆れられるほどの味音痴の自分が言っても説得力がないが(苦笑)。

ともかく、そんなコトを考えつつ思うのが、それこそ、本当の昔からずっと続くお店や、人気のあるお菓子なんかのコトである。

よく聞くハナシだが、我々が子どもの頃から今も変わらずあるお菓子等は、上記のような問題を回避するため、お客さんには気づかれないように、常に少しずつ改良されているという。

つまり、「変わらぬおいしさ」のためには、常に変わらなければならないというパラドクス(← 使い方、合ってる?)。

まぁ、それを、黙っていられずに、つい自分で「さらにおいしくなりました」と言っちゃうトコもあるけど、いずれにせよ、常にユーザ時代の要請に応え、変化を続けないと、「変わっていない」とすら思ってもらえないのである。

逆に言うと、「停滞」「後退」なのである(あ、ちょっとウマいコト言った)。

で、もちろん、このコトは、食の分野だけではないはずで、一度訪れたお店やサービスが、何度経験してもいつも素晴らしいと思ってもらうためには、常に変化し、改良し続けられなければならない訳である。

それを、面倒と思うか、やりがいがあると思うか、でしょうか(笑)。

2014年12月25日木曜日

「もうひとつの京都、行こう。」

「もうひとつの京都、行こう。」3つの京都観光プロジェクト始動!/京都府ホームページ

最近、αステーションを聞いていると、よくここの曲が流れているのですが、最初に聞いた時は、あまりよく曲の説明が聞き取れず、「京都府のキャンペーン」とだけ聞こえたので、

「あ〜、ヴァイオリンのヒトを起用すると、結局、みんな、葉加瀬太郎みたいって思われるよなぁ……」

と思っていたら、なんと、ホントに葉加瀬太郎さんでした(笑)。

まさか、そんな大物を起用するとは。
京都府の本気度が伺えます。

それにしても、このムービ、もちろん、そうじゃないヒトにも響くのでしょうが、おそらく、結婚の経験がある方には、さらに威力倍増だと思います。

思わず、ちょっと、涙ぐんでしまいました(笑)。

仕事で行った場所が多く写っているので、嬉しいです。
むしろ、自分は、「もうひとつの京都」の方が、たくさん行ってるかも(笑)。

オーダーっ!

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今日のランチは、インフルエンザで休んでいるムスメのリクエストで、オムライ……ス?

2014年12月24日水曜日

そして、今日も

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昨日に引き続き、今日はなんと、自分のトコロにリアル・サンタが来てくれました。

昨日もそうですが、全く予想もしていないトコロからのプレゼントというのは、それだけで、嬉しさ倍増ですね。

本当にありがとう。
とりあえず、極寒自室でします(笑)。

2014年12月23日火曜日

リアルサンタ

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今日の夜、ホンモノのサンタさん(2人組)が、我が家のチビっコ達のために、プレゼントを持ってきてくれました。

本当に、ありがとう!
(多分、見てないけど)

我が家のクリスマス

カレンダの関係で(笑)、今朝、我が家に、一足早くサンタさんが来ました。

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ムスメは、兄に触発されてからか(というか、兄自身は、ビビって、ほとんど乗ってないんだけど)、以前から欲しがっていたピンク自転車(正確には、違いますが)。

そして、ムスコは、これまた欲しがっていたオセロと、「園児」から使えるという触れ込みの国語辞書

さらに、朝食は、ヨメお手製のケーキでした。

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で、いつものごとく、自分を筆頭にケーキのデキを絶賛していると、パティシエ曰く、

「実は、発酵が、もうひとつだったんだよね……」

とのコト。

そこで、さっそくムスコに、

「"発酵"って、何や?辞書にで調べてみ!」

というコトに。

しかし、ここでその項目が立っていないと、初めて辞書を手にしたムスコの、辞書というアイテムに対する信用がなくなってしまう危険もあったのですが、そこは、さすが、小学館。子ども用でも手抜きはありません。
はっこう【発酵】こうぼ菌や、乳酸菌などのはたらきで、米・麦・豆・果実などが分解して、アルコール・酸類・二酸化炭素などができること。
……これに辞書がいるわっ!!

【追記】
実は、ムスメには、おまけに、100均福笑いシールブックもありました。

そして、ムスメの作品。

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「あきらめの〜な〜つぅ〜♪」

……ていうか、なんで知ってるんだ?(笑)

2014年12月22日月曜日

クリスマス会

土曜日は、保育所クリスマス会でした。

実は、あいにく当日は出勤日にあたっていたため、当初は、参加しないつもりでした。

自分が子どもの時は、父親が仕事で学校等の行事に来れないというのは、会社に求められているというか、社会に貢献しているというか(そこまではっきり言語化はできていませんでしたが)、とにかく、カッコいいと思っていたため、むしろ、嬉しかったです(もちろん、恥ずかしいのもありますが)。

なので、ムスコもそうかと思い、念のため、本人に聞いてみると、予想に反して、

「練習してるから、絶対見に来て!」

とのコト。

それならば、というコトで、職場のみなさんヨメに、(いつもながら)ムリを言って、できる範囲で参加するコトにしました。

まずは、ムスメの登場。
セットリストは、お歌手遊びだったのですが、さすがに去年とは違い、砂かぶりにいる両親に気付きながらも、全く緊張するコトもなく、完璧なパフォーマンス

しかも、センタ

一方、ムスコは「創世記」聖劇
「創世記」の演劇上、最も難しいとされる(笑)「象」を熱演。
こちらも、堂々たる演技で、万雷の喝采を浴びていました。

ムスコの降壇の直後に職場に向かったため、残念ながら最後まで見ることはできませんでしたが、みなさんのお陰で、2人の勇姿を見ることができました。

出来・不出来はともかく、一生懸命やっている姿は、やはり、嬉しいです。
素直に、ムスコの言うコトを聞いて、正解でした。

さて、それはともかく。

クリスマス会は特別な日なので、ムスメは、いつもよりも少しだけ女のコっぽい格好で登園したのですが、他のお母さん方がムスメに会うたびに、さかんに、

Hちゃん、カワイい!」

と言っていただくのは非常にありがたかったのですが、そのうち、直接、ムスメに会っていないお母さんにまで、

「なんか、Hちゃん、スゴくかわいい格好してたらしいですね」

と言われる事態に。

一体、普段、どんな風に見られているのか……

2014年12月15日月曜日

「さんたさんへ。」

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さんたさんへ。
くりすますの
ときぷれぜんと
くれてありがとう。
ことしも
ぷれぜんと
もってきてね。
Kより。
お互い、品目を限定されずによかったですね、さんたさん(笑)。

2014年12月14日日曜日

冬のバーベキュー

昨日は、楽団恒例バーベキューに、久々に家族で参加してきました。

え?この真冬にバーベキュー?

と思われると思いますが、自分も数年前、最初にこの企画を聞いた時には、全く同じように思いました。

しかし、半信半疑で参加してみると、実は、バーベキューって、炭火を使った遠赤外線のため(よく知らない)、ただでさえ暑い夏にするより、冬の方が非常にあたたかく感じられますし、言うまでもなく、場所も空いています(実際、昨日も我々の貸し切り状態でした)。

いかに固定観念て恐ろしいモノか。

……まぁ、サムかったんですけどね。

それはともかく、今回も、兄貴的存在の団員が全面プロデュースで全て取り仕切ってくれ、他にも、手作りパンケーキを持ち寄ってくれたり、その場で、みんなに温かい豚汁コーヒーを振る舞ってくれる団員がいたり……

もう、何度も「幸せ……」とツブやいてしまいました。

かくいう我が家は、チビっコ2名を提供(?)。
しかも、こちらも他の団員にめちゃくちゃいっぱい遊んでもらい、我々も、久々にゆっくりくつろいで、団員との会話を楽しめました。

そして、そんなみなさんのお陰で、マシュマロココアの味を知ってしまい、また、初めて和式トイレでのも経験し、1日で、非常に大きく成長した我がムスコ

そんな訳で、これ以上ないくらい、おいしくて素晴らしい時間だったのは言うまでもないのですが、いつも楽団の行事に参加する時に感じる特別な感情、安心するというか、心からリラックスするというか、を、今回はいつも以上に強く感じました。

単なる友人とは言い切れない、もっと特別な存在。
エラいモノで、ほぼ初めて会った、自分が休団してから入団された新しい団員さんたちにも感じます(これは、まぁ、一方的だと思いますが(笑))。

そんなみんなに会うたびに、いつも、何か貢献したいと思うのですが、自分には、みんなに与えられるような、特別なモノもチカラもないのがもどかしい……
まぁ、今のトコロは、安心して、ヨメに参加してもらうコトですね。

とにかく、ありがとうございました!
本当は、みなさんにメールをしたかったのですが、この場を借りて。

……決して、この理由ではありません……(笑)

2014年12月12日金曜日

「面倒くさい」とは何か?

なんと言ったらいいのだろう、あの、「面倒くさい」に伴う独特の不快感

そうだなぁ〜、たとえば、今なら年賀状(おいおい)。

ともかく、自分を含めた自称「面倒くさがり屋」のみなさんは、なるべく面倒くさいコトは避けようとすると思うが、朝の書架整理等で、職場の本棚をパラパラと見ているだけで、

「ダメだよぉ〜、その面倒なコトこそ、やらなきゃダメだよっぉ〜っ!」

と、ラモス、もしくは欽ちゃんのように訴えかけてくる本がいくつも目に入ってくる。

たとえば、その名もズバリ、面倒だから、しようという渡辺 和子さんのベスト・セラには、
人には皆、苦労を厭い、面倒なことを避け、自分中心に生きようとする傾向があり、私もその例外ではありません。しかし、人間らしく、よりよく生きるということは、このような自然的傾向と闘うことなのです。したくても、してはいけないことはしない。したくなくても、すべきことをする。自由の行使こそは、人間の主体性の発現にほかなりません。
とあり、また、別の個所には、
かくて私は、学生たちに「『面倒だからしよう』と呟いて、『しようか、どうしようか』と迷う時には、してごらんなさい。きっと、その積み重ねが、あなたがたを美しくしてくれるから」と話しています。
とあります。

また、サービス業界のコンサルタントをされている江澤博己さんが書かれたちょっと面倒なことがあなたを変えるという本には、こんな一節が。
つまり、「ちょっと面倒なこと」をやってみると、本当に、びっくりするくらいクレームの数が減る。
(中略)
そのうち、ぼくは考えるようになる。
-自分の心に引っかかる「ちょっと面倒なこと」。それを順番に、意識してやっていけば、自然と、仕事も人間関係もうまくいくようになるんじゃないだろうか-。
さらに、松浦弥太郎さん今日もていねいに。には、一層ツッコんで、こんな記述が。
しあわせになりたい、成功したいのなら、
口癖になっている「面倒くさい」を言わないことです。
「面倒くさい」ことにこそ、あなたらしさの表現があり、
ほんとうの楽しさがあり、得られる収穫があるのです。
「面倒くさい」ことを避けてはいけません。
「面倒くさい」ことだからこそ、まっすぐに向き合って、
存分に楽しみながら、誰よりも一生懸命に行いたい。
しあわせと成功の秘訣です。
う〜む……

つまり、「面倒くさい」とは、その行為に十分に価値があるコトは分かっていて、かつ、そのやり方や、その行為を遂行する能力が自分にはあると分かっているのに、なぜか、ヤル気だけが起きない時に感じる感情なのではないでしょうか。

だから、面倒くさいコトこそやった方がいいのでしょうが、では、なぜ、「ヤル気」が起きないのでしょう?

それはもちろん、その行為自体がツラかったり、シンドかったりする場合もあるでしょう。
しかし、それ以上に、実は、その行為をしても、なんの刺激もないコトが大きな原因ではないかと思ったりします。

そう思うと、「面倒くさい」と「あたりまえ」の関係も見えてくるような……

まぁ、いろいろ御託を並べても、結局、自分が実際に行動を起こさなければ、何も解決しない訳です。

ボチボチ、住所書きでも始めますか……(涙)

2014年12月9日火曜日

恐るべし!京都ラーメン

京都に行ったら絶対食べたい!京都市激ウマラーメンベスト10

独身時代は一時期、ほぼ、毎日のように新しいラーメン屋さんを探して食べていましたし、今でも、かつて程ではないにせよ、スキを見つけては行くようにしているのですが、それでも、ここに取り上げられているお店は、ほぼ全店、行ったコトがありませんでした。

なんという豊潤さ!!

まぁ、当時も、自分の中で一乗寺サンクチュアリとして、最後までとっておいた部分はあるのですが(なぜ?)、あのあたりは、京都(日本?)屈指の人気本屋さんもありますし、鴨川沿いと並び、いずれは住んでみたい憧れの土地ですね。

2014年11月29日土曜日

仲間がいれば

ご多分にもれず、「ゲラゲラポー!」な我がムスコ

偶然、主人公と同じ名前のため(表記は違いますが)、保育所の「ごっこ遊び」でも、主人公役になれるコトが多いらしいです。

さて、そんな妖怪ウォッチムスメが言うには「妖怪ゴッチ」)。
最近、映画のCMをやっているのですが、どうも、その中で出てくる主人公のおじいちゃんの名前が、ボクの父親と同じ名前、つまり、ムスコのおじいちゃんと同じ名前のようです。

主人公と同じ名前というのはあるかもしれませんが、まさか、おじいちゃんまで一緒とは。
まぁ、主人公のお父さんは、おそらく、ボクとは違う名前だとは思いますが。

で、ムスコに聞いていると、先日、さっそく保育所で映画のごっこ遊びをしてきたとか。

……まだ、公開されてないのに。

そんな、CMのわずか数十秒でも、子ども達にとっては、充分な素材なんですね。
まさに、イマジネーション!

『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』公式サイト

2014年11月12日水曜日

「満足とは」

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おまちかね(?)の保育所名言シリーズ

今日のお迎えの際、階段に貼ってあったこれを見ながら、

「なるほど、そのとおりだなぁ〜」

と思いつつ、チビっコ達を教室まで迎えに行き、玄関に戻っと来ると……

なんと、なぜか自分の履いてきたクツがありません!

おそらく、誰かのお父さんが間違えて履いて帰ったのだと思いますが、それにしては、間違えそうなクツも残っていません。

仕方がないので、事務室で事情を説明し、代わりのサンダルをお借りしてコトなきを得たのですが、正直、履いていったクツに比べると、かなりクオリティが低く、帰ってくるまでにあちこちが痛くなりました。

でも、そこで、はたと気が付きました。

あぁ、これぞ、「いま手にしているものを喜ぶことなの」か、そして、その「喜びを先送りしてはな」らないのか、と。

神さまが上辺だけの理解に終わらず、しっかり身にしみて分かるように、さっそく与えてくださった、ありがたいチャンスなのか!!と。

……て、思えるかぁ!!

2014年10月23日木曜日

岡崎World Music Fes

今日のお昼に、たまたま、こんなイベントを知りました。

岡崎ワールドミュージックフェスタ

開催は、今度の日曜日(10月26日)ですが、会場は、なんと、お寺

近所のお店の屋台が出る他、各国音楽のライブだけでなく、チビっこ向けワークショップもある様子。

食と音楽なんて、まさに、我が家のためのイベント!!

……なのですが、その日は、別の場所でトッキュウジャーがブッキングしており、ちょっと難しいかも。

しかも、5時までなので、職場のみなさんも間に合わず……
(もちろん、ランチには行けますが)

ただ、HPを見ていると、非常によい感じなので、可能な方は、ぜひ!

……そして、府立図書館いろいろやってます(笑)。

2014年10月22日水曜日

「Library Lion」創刊!

Library Lion


このたび、性懲りもなく、図書館関係のオンラインマガジンを創刊しました。

直接、サイトをご覧いただくのはもちろん、Twitterをフォローしていただけば、記事の更新が分かるようになっています。

なお、当マガジンでは、寄稿を常に受け付けております。

図書館関係者の方はもちろん、利用者として図書館に係る中で感じるコト等も大歓迎です。

という訳で、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!

……まぁ、このブログを見に来てくださっている大半の方には関係ないかもしれませんが(笑)。

2014年10月3日金曜日

「まじめなことを ゆかいに」

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ごく一部で待たれている「保育所格言シリーズ」

マジメ過ぎる日本の職場の場合、どうしても、この「まじめなことを ゆかいに」が苦手なような気がします。

なんか、職場で笑い声が聞こていると、不謹慎というか、なんというか……

ホントは、笑い声が出るくらいリラックスしている方が、いいアイディアが出るんですけどね。

2014年9月28日日曜日

「走りたい!」

現在の自宅を購入する際、なにぶん、2人とも初めての経験だったので、勝手も分からず、どういう基準で選んだらよいのか、全く雰囲気がつかめなかった。

そんな中、自分が出した唯一の条件が、「トイレ2つあること」(子供の頃の毎朝のトイレ争奪戦が、今でもトラウマになっているらしい)、そして、ヨメが出した条件が、「庭でバーベキューができること」だった。

幸い、数軒回った中で、土地の形が変だったこともあり、ちょっとした、しかし、バーベキューをやるには十分な広さがある裏庭付きの物件を見つけ、他の条件もまずまずだったため、最終的にその家にするコトにした。

で、その家に実際に住んでから5年以上が経つ訳だが、それだけ楽しみにしていたベーベキューにもかかわらず、結局、今のトコロ、はっきり思い出せるくらいの回数しかしていない。

というのも、我が家的には全く何の問題もないのだが、やはり、京都の住宅密集地にあるため、周りのおウチに煙が行くことが気になって仕方がない。
幸い、というか、本当にありがたいコトに、周りのおウチは、みなさん寛大な方ばかりなので、その数回にしても、少なくとも、直接にはお叱りを受けるコトはなかったのだが、ただ、それに甘えていては、いつ、それが原因で、そんな大切な関係が壊れてしまうかもしれない。

というような懸念もあり、なんとなく裏庭ベーベを自粛する日々が続いているのだが、そんな中、家族で近所を散歩している時等に、フと、屋上があるおウチを見ると、

「あぁ、屋上だったら、もしかしたら、ベーベキューも思い切りできるのかもしれないな……」

と思ってしまうのだが、それももう後の祭り。
今度家を買う時は、ちゃんとそこらへんも考えて、選ぶなり、設計するしかないなぁ……て、まずは今の家のローンがいつまでだよ!!

……と、自らに寂しくツッコんでいたトコロ、最近、全く違う文脈で読んでいた起業のリアルという本で、偶然、こんな会社を知った。

木造住宅で屋根と同等価格の屋上庭園|プラスワンリビング


木造建築の住宅に、後付けで屋上を設置している会社のようなのだが、何がイノベーションて(自分で言ってはる)、通常、500万円はかかる設置費用が、なんと、100万円を切る価格で提供されているというトコロ。

もちろん、オプションやなんやかんやで最終的にはそれ以上にはなるだろうし、100万円だって、決して安い金額ではないが、新しい家に買い換えるなり、建て直すコトを考えれば、かなり現実的な額ではないだろうか。

というコトで、自分の中で、俄然、現実味を帯びてきたこの計画で、すっかりメートルが上がってしまったおとっつぁん。さっそく、何も知らないムスメに、

「もし、ウチに屋上があったら、何がしたい?」

という質問をしたトコロ、元気よく返ってきたのが、冒頭の発言。

保育所でも、毎日、屋上で走り回っているようで、彼女の中では、「屋上=走るトコロ」らしい。

オトナ達は、ビールでバーベキュー、そして、その周りを楽しげに走り回る子ども達。

なんだか、絵に描いたような光景だが、そうなったらそうなったで、今度は、

「遠くからこの煙を見たら、火事やと間違われへんやろか……」

って心配してそうだけど。

2014年7月26日土曜日

「子供がまだ食ってる途中でしょうが!」

子供がまだ小さいため、夫婦だけで食事に行くという機会がめったにない。

それでも、何かの拍子に奇跡的にそんな機会が訪れると(さすがに、ランチだが)、テンションが上がってしまい、前日から「明日は何を食べに行こう?」と、2人でいろいろ相談をするコトになる。

しかし、散々迷った挙げ句、結局、いつもラーメンになるのだ。

で、今度は、せっかく行くのだからどこのお店にしようかと、自分の数少ない脳内ラーメンDBの中から、「あそこはウマいが、カウンタしかない」とか、「あそこはサイドメニュが豊富なのが魅力だ」等と、いろいろ候補を上げるのだが、こちらも、ヨメの答えは、いつも決まっている。

「どこでもいい。だって、どこもおいしいから」

そうなのだ。

食通ラヲタと言われるヒト達にとっては違うのだろうが、我々にとっては、本当に、どこのお店も、充分においしい。
そもそも、京都(市)には、実に多くのラーメン屋さんがあるので、その中で生き抜いているコトを思えば、それも当然なのかもしれない。

しかし、である。

その中でも、やはり、普通においしいかったなぁで終わるお店と、それにとどまらず、そのおいしさに、思わず「感動」してしまうお店があるように思う。
その違いは、どこにあるのだろうか?

ラーメン屋さんといえば、自分が小さい頃は、なんというのか、渦巻きみたいなマークか、龍の絵のついたウツワで中国を彷彿とさせつつ、スープは透明な醤油味で、具はシナチクナルトが乗って、なぜか、必ずテーブルに置いてあるS&Bのコショウをしこたまかけてから食べる……というイメージがあったのだが、いつの間にか、そんな古式ゆかしいラーメン屋さんはすっかり少数派になり、現在は、全体的に中国から"和"への転換が図られている。

ウツワはゴツっとした厚手のモノになり、スープはこれまでなかった魚介系等も出てきつつ、ナルトはすっかり姿を消し、店員さんは、おそろいの黒Tシャツ(背中にはみつを的な何か)にアタマタオルという出で立ち。

そして、最も大きな違いが、ラーメン道というか、とにかく、「求道」という雰囲気が全面に出てきているコトである。

ただ、同じく求道のニオイがするソバの世界とは、根本的に何かが違う。

椎名誠さん『殺したい蕎麦屋』という、いささか物騒なタイトルのエッセイ集があるのだが、その中に、椎名さんが信州で、あるおソバ屋さんに入った際、ソバつゆの代わりに水が出され、

「当店のソバは、味に自信があるので、渓流の水で食べて下さい」

と言われ、お金だけ払って食べずに出てきたというエピソードが載っていた。

真偽のほどは分からないが、それでも、いかにもありそうと思ってしまうように、ソバの場合は、なんか、"仙人"とか"霞"といったコトバが浮かぶような求道という感じがする。

一方、ラーメンは、同じ求道でも、もう少し世俗的というかお坊さん的というか(失礼)、求道のはずなのに、どことなく、「マスコミ対応」とか、「フランチャイズ」とかいったコトバが想起されるたたずまいがある。

さて、そんな現代のラーメン屋さん。

これだけ多くのラーメン屋さんが乱立しているので特に思うのだが、それぞれのラーメン屋さんのご主人というのは、みなさん、やはり、自分のお店のラーメンが、どこよりも一番おいしいと思っているのだろうか?

例えば、自分の店はトンコツだが、他のお店はニボシだったりトリガラだったり、明らかに違いがあるので、お客さんの好みによっては、他の店の方が好きだというヒトがいるのは仕方がない。
しかし、自分が食べてみると、やっぱり、自分の店が一番ウマいなぁ〜という感覚。

逆にいうと、ホントは自分の店より、ぶっちゃけ、あっちの店の方がウマいんだけどな〜と思いながらやっているお店はあるのだろうか?

他の店に負けていたら悔しいとか、一番おいしいラーメンを自分の店のお客さんに提供したいという強い願望……
おそらく、自分が食べにいったラーメン屋さんには、ぜひ、そういった気概でやってもらいたいと誰しもが思うだろう。
そして、そういった思いが、時として、おいしさを越えた「感動」を生むのではなないだろうか。

一方、それを言う以上、こちらもそれなりの心意気でのぞまなくてはならない。

冒頭のセリフは、ご存知、「北の国から」の、夜のラーメン屋さんでの有名なシーンにおける五郎の発言。

お店側にいろいろ要求するのならば、こちらも、もし、目の前のラーメンを取り上げられそうになったら、店員さんに食って掛かるくらいの真剣さでラーメン一本勝負に取り組まなければならないだろう。

……この場合は、完全に逆ギレだけど。

2014年7月25日金曜日

「『ありのままの自分』って、何なんですかね?」

テレビを全く見ないため、相変わらず、世の中で流行っているモノがさっぱり分からないのだが、それでも、アナと雪の女王というアニメ映画(?)が空前の大ヒットをしているというくらいは、エラいモノで、そんな自分の耳にも入ってくる。

そして、これまたどうやら話題らしい主題歌に関しては、自分以外の家族が毎日歌っているので(しかも、超成り切り型熱唱系)、原曲を一度も聞いたコトがないのに、いつの間にか、あらかた、歌詞も覚えてしまった。

曰く、
ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの
何も恐くない 風よ吹け 少しも寒くないわ

(中略)

これでいいの 自分を好きになって これでいいの 自分を信じて
光浴びながら歩き出そう 少しも寒くないわ
非常にメッセージ性の強い(というか、モロにそのまま)歌詞だが、ここに盛られている思想、つまり、「ありのままでいい」「自分を受け入れよう・自分を愛そう」「今のままであなたは完璧な存在だ」というのは、なにも、この歌に限ったハナシではなく、スピリチュアル系及び自己啓発系の分野では、非常にメジャーなフレーズだ。

で、改めて思うのだが、この「ありのままでいい」「ありのままの自分を出そう」というのは、本当に正しいのだろうか?

もちろん、自分も本来そうであるべきだと思うし、ホントにそうできれば、どんなにステキだろうとは思う。
しかし、大多数のヒトが、多かれ少なかれ本当の自分をガマンして出さないようにしているのは、もし、みんなが、ありのままの自分を素のままで出したら、今以上に世の中が混乱するからだと思うのだが、そうではないのだろうか?

少なくとも、自分を振り返れば、必死にありのままの自分を隠そう、直そうとしている現時点ですら、それでも漏れて出てしまう部分だけで、周りにいる家族や職場の人達は、充分、辟易していると思うのだ。

それが、このメッセージを真に受けて、そのプロテクトをはずし、本当にレアな自分を素材のまま全開で出したら、今以上に気が短くて怒りっぽく、自分のコトを最優先し、器が小さく、ヒトを見下した人間が現れるのだが、本当に、それでいいのでしょうか?(誰に聞いてる?)

もしかしたら、大前提として、「他人に迷惑をかけない範囲で」という注意書きがあるのだろうか?
それとも、ありのままの自分を出して離れて行くようなヒトは、元々、本当の友人等ではないというコトなのだろうか?

そう言えば、そんなコトをツユも考えもせず、毎日、ありのまま全開で自分をまき散らしていた中学や高校時代の友人は、今でも(細々とではあるが)付き合いが続いているし、そんな自分を受け入れてくれたコトを、今でもとても感謝している。

そういうコトなのだろうか?

冒頭の発言は、(おそらく)この歌を受けた、タモリさんのひとこと(くわしくは、タモリ、ラジオで「腹が立つ言葉」を明かす「『ありのままの自分』って、何なんですかね?」「『タモリさんらしさ』なんて言う制作サイドは信用しない」 - ライブドアニュースタモリ、「自分らしさ」という言葉が嫌いな理由「自分らしさは、自分では分からない」 | 世界は数字で出来ている)。

う〜む。
もしかしたら、ありのままの自分というのは、今、認識している、この内面的な感情や考えとも、また、違うのだろうか。

肝心の映画を見ていないので(おいおい)、もしかしたら、その中に答えはあるのかもしれない。
しかし、そんな"外部"にではなく、「全ての答えは、自分の中にある」というのも、これまた、それ系の分野の定番のフレーズなんだけど。

2014年7月23日水曜日

「なぜW杯敗退の検証を行う前に次期監督が決まるのか?」

もう、みなさん、既にザックの就任時のコトなんて忘れているかもしれないが(というか、ザック自体が怪しい?)、当時は日本代表の監督決定が遅れに遅れ、ついに、最初の強化試合の2試合は、原博実技術委員長が指揮を執るという異常事態になった。

その際、世界中の有力な候補にあちこち断られまくり、代表監督の選定が難航したコトで、原委員長及び日本サッカー協会は、その対応の遅れを、散々、各方面から批判された訳である。

で、その教訓を生かし、今回はW杯中から次期の監督選定を始めると、今度は今度で、冒頭の発言のようなコトを、やはり、散々、言われる訳である。

あえて言おう。
どっちやねん!と。

香川がいるので、日本でも自然と報道の多いマンUだが、W杯前に来期の監督がファンハールと発表された。
それを聞いた時、最近、サッカーの情報を全くフォローできていなかったので、なんの疑いもなく、

「へぇ〜、あんな有力な監督が、今まで何もせずにあいてたのか」

と思っていたら、何のコトはない、大会が始まって見ていると、ファンハールは、しっかり、オランダの監督をしているではないか(というか、2年前から)。
つまり、W杯が終わる前、いや、始まる前から、既に、次の就職先が決まっている訳である。

サッカー界全体がそんなスケジュールで動いているのに、W杯が終わってから、さぁて、今回悪かったトコロはどこかなぁ〜と悠長に構え、じゃぁ、その点を直してくれるのは、こんな監督だといいんだけどなぁ〜なんてやってたら、そりゃ、有力なヒトは、もう、みんな新しい就職先で活動を始めている頃だろう。
それが、まさに前回、難航した最大の原因だったと思うので、個人的には、ちゃんと反省を活かしてるじゃん、と思っていたのだが……

さて、そんな中、何の根拠か、最有力候補と言われているアギーレ氏。

上記のような人事先行に対する世論の反発もあり、全く本人のせいじゃないのに、なんか、アギーレが悪いみたいになっているが(なってない?)、それはともかく、日本人選手と体型が似ているメキシコを率いて優秀な成績を残したから、多分、日本もどうにかしてくれるんじゃね?という理由で候補に上がってきたのは、容易に想像がつく。

しかし、ホントに似ているだろうか?

中米、そして、南米の選手なんて、確かに、身長こそ小柄なモノの、胸板なんか、もう、いっそ"パイオツ"と言いたくなる程の豊満(?)さである(しかも、選手だけでなく、審判も)。

たとえ、同じくらいの身長だからといって、あんな屈強なカラダと日本人選手は、全く比べモノにならない。
いくら、本田のフィジカルが強いって言ったって、やはり、根本が違うのだ。

中米や南米の選手が頑丈でチカラで押す鉈ならば、日本人選手は、切れ味で勝負する、それこそ、日本刀なのだ。
元々全く違うモノなのだから、他国を模倣し、同じ方向を目指しても、当然、いい結果が出るはずがない。
やはり、オシムの言うとおり、日本代表は、とことん、日本化して欲しい。

そこで、どうするか。
日本独自のサッカー、つまり、"NINJA Football"を目指すのだ!!

例えば、ドリブルして相手に向かって行き、ボールは相手の股の間を通し、自分は側転して相手をかわすとか(ん?どこかで見た?)、もしくは、分身の術で、どんな局面でも、常に数的優位を作るとか。

……まぁ、それは冗談だとしても、とにかく、屈強さで勝負できない分、俊敏とか身の軽さを存分に活かして、相手を翻弄するようなサッカーをしてもらいたいモノである。

なので、もう少し現実的な感じでいうと、対峙した相手に対し、両足でボールを挟んで、"ピョン!"と飛び越えてかわすとか。

……それが、メキシコのブランコなんだけど。

2014年7月21日月曜日

「彼は二代目のペレではない。初代のマラドーナだ」

「戦術は、"メッシ"」と言われていた、今大会のアルゼンチン
アルゼンチンの試合は決勝戦しか見られなかったが、それでも、明らかに多大なる特権がメッシに与えられているのは一目瞭然だった。

普通に考えたら、あまりにもリスキィな"戦術"だが(同じく、"攻撃の戦術は、ネイマール"だったブラジルを参照)、しかし、それでも決勝まで残ってしまうなんて、一体、どんだけの個のチカラやねん!と思ってしまう。

しかし、マラドーナが活躍していた頃も、

「アルゼンチンの監督の仕事は、試合前、メンバ表に"マラドーナ"と書くだけ」

と言われていたらしいし、実は、アルゼンチンのお家芸なのかもしれない。

さて、そんな共通点(?)もあり、なにかと比較されるメッシとマラドーナ。
今大会も、いろんなヒトが「メッシは、まだ、マラドーナを越えてない」とか、「優勝したら、漸く越える」とか、さんざん言っていた。
おそらく、メッシは一度も聞いてないのに。

自分自身は、94年のアメリカ大会で、ギリっギリ、リアルタイムでW杯でのマラドーナを見るコトができた。

その時も、もう、体型的には、すでに現在のマラドーナに近づきつつあったが(それでも、まだ、あそこまでののびしろがあるとは思っていなかった)、明らかに彼がいるかいないかで、全く別のチームになるのが素人目にもハッキリ分かった(まぁ、その直後にあんなコトになってしまったが)。

しかし、メッシが生まれたのは、1987年。
アルゼンチンが優勝し、「マラドーナのための大会」と言われた1986年大会の翌年なので、もちろん、その時の様子は知らないし、90年の準優勝時で3歳だと、これも正直、物心がついているかどうか、微妙なトコロだ。
そして、94年大会時こそ7歳だが、マラドーナは、すでにあんなんだったし……

そんな、自分の実感としてはよく分からないおっちゃんといつまでも比べられ、さんざん越えただの越えてないだのと言われるのって、一体、どんな気持ちなのだろう。

マラドーナも、ことあるごとにメッシについて言及しているが、そもそも、当のマラドーナ自身、若手の頃はペレと比べられ、タイトルに上げた言葉のように言われていたそうだ。
メッシだって、「オレは初代のメッシ!」だと思っているコトだろう。

さて、後継者と言えば、今大会の目玉とも言えたコロンビアロドリゲス
同じく94年のアメリカ大会で鮮烈なイメージを残した、同国の英雄、バルデラマが、やはり、彼のコトを「自分の後継者」と言っていたらしい。

バルデラマといえば、その風貌はもちろん、インサイドキックしか使わない(使えない?)ゲームメーカというのが、なぜか、実にカッコよかった。
あの時のコロンビアには、アスプリージャもいたが、やはり、バルデラマの方が、断然、キャラが立っていた(サッカー選手に、キャラ立ちが必要かどうかは別にして)。

しかし、そんな、バルさまも、ここのトコロ、とんとお名前をお聞きしないなぁと思っていたら、今大会の直前に、「選手はワールドカップ期間中にセックスをしろ」と熱弁をふるい、突然のブレイク。
久しぶりに出てきたと思ったら、こんな発言で注目されるおじさんの後継者と言われるのって、一体……

まぁ、しかし、これ自体は「もぅ、バルちゃんたら」で済むハナシだが、実は、以前から、ぶっちゃけ、そこの部分てどうなのだろう?と、個人的には非常に強い関心を抱いていた。

W杯に出場する選手達って、大会前の合宿から考えたら、基本的には(彼女を含む)家族とは接触できない状態で、1ヶ月以上を過ごす訳である。
以前に比べれば、個室になったらしいので、少しは改善されたのかもしれないが(何が?)、スポーツ選手なんて、おそらく、一般のヒト以上だろうし(何が?)、ホント、どうなのだろう?

……と、思っていると、立て続けに、「 サッカーW杯ブラジル大会で、セックスを禁止した全ての代表チームが、ベスト16までで敗退した」「ついにベスト8が出揃ったブラジル・ワールドカップ、SEX禁止のチームは全滅?」という記事が出て、いみじくも、バルさまの正しさが証明された訳である(そうか?)。

さて、それはともかく、この後継者問題。
日本に置き換えたらどうなのかと考えた。

日本で「二代目〇〇」「〇〇の正当な後継者!」といった場合、「〇〇」には、一体、誰が入るのだろう?

世界的にも名が知れていて、いろんな意味で伝説っぽくて、圧倒的な存在感がある人物……

なんか、カズではないし(そもそも、まだ、現役だ)、中田もちょっと早い気がする。
もちろん(?)、ラモスでもないだろうし、実績で言えば、奥寺さん……

……釜本?

そう考えると、確かに上記の条件にあてはまるし、もっと言われてもよさそうなモノだが、少なくとも、Jリーグが始まってからのにわかファンである自分は、そういった選手を聞いた記憶がない。

ご本人に癖があるのは確かだが、それはマラドーナやバルデラマだってそうだろう。
一体、何が違うのだろう?

……人間力?

2014年7月15日火曜日

「普通に歌って欲しい」

「本当に歌が上手いランキング」で断トツ1位に輝いた歌手は? - ライブドアニュース

普段、全くと言っていい程テレビは見ないのだが、珍しくテレビをつけると、たまたまこの番組をやっていた。

で、自分が見始めた時点が8位の井上陽水さんだったのだが、その直後に、宇多田ヒカルさん(6位)と吉田美和さん(5位)が続き、

「おいっ、じゃあ、1位は、一体誰だよ!」

と、ひとりで憤っていた(世代的な関係で、歌がウマいと言えば、無条件にこの2人と思ってる)。

で、その後、さらにランクが上がり、正直、よく知らないヒトがいつつも、2位に久保田利伸さんがランキングされ、まぁ、そりゃそうかなぁと思っているトコロでコマーシャルになったので、その間に、1位をいろいろ考えてみた。

演歌のヒトが全く出てないが、まさか、アッコだろうか(演歌じゃない?)。
そういえば、個人的には、稲葉さんは非常にウマいと思うのだが、ちょっと、分野が違うのだろうか?
あと、一般的に歌がウマいと言われているのは、平井賢さん……?

……等と思いつつ結果を見ていると、一位は、なんと(← 失礼)、玉置浩二さん

しかも、アムロ(安室ではない)的に言うと、

「圧倒的じゃないか……」

な結果。

そりゃ、確かに上手だとは思っていたが、まさか、専門家が聞くと、これ程までに違うとは。

まぁ、専門家は、我々一般の音楽好きとは全く別の視点で、全く別の場所を見ているだろう。
そして、なにより、たとえどんなにウマくても、それは、あくまでも手段でしかない訳である。

生業として歌を歌っているヒトは、歌が上手というよりは、もっと、聞き手に対して、心地いいとか、好き!とか思ってもらわなければならない訳である。
個人的には、決してウマい = 好かれる、ではないように思う(この問題を考える時、なぜか、いつもローリングストーンズを想起してしまう)。

さて、冒頭のひと言は、このコーナの最後で、玉置浩二さんの「フェイク」(元歌をアレンジして歌う歌唱法)がスバラしいという専門家のインタビュー映像を受け、司会の浜ちゃんが、ポロっと(YOUに対して)言っていたモノ。
この問題(?)は、自分も以前から強く思っていたので、やはり、自分だけじゃないんだと、胸を撫で下ろした次第である。

この件で、最もよく見受けられるのが、正しい(というか、本来の)譜割に対して、(なぜか)スゴく遅れて歌う「遅延型」

番組内では、徳永英明さん「壊れかけのレディオ」が指摘されていたが、自分は、このランキングにも入っている布施明さんが、出場辞退宣言(苦笑)前の紅白で、「シクラメンのかほり」を歌っていた際、あまりに譜割に対して歌い出しが遅すぎるため、

「あ、歌詞、忘れてはる!(しかも、ワンフレーズずつ!)」

と思ったモノである。

また、これの対として、「倍速型」もある。

番組内で松ちゃんが指摘していたのが、欧陽菲菲さん「ラヴ・イズ・オーヴァー」
うん、確かに、聞いたコトがある。

あと、もうひとつあるのが、「過剰型」

例えば、松山千春さん「長い夜」は、 テレビ等でこの曲を聞くたびに、サビの「なが~いよるを~」の「なが~い」の「〜」の部分が、文字どおり、どんどん長くなっている。

そもそも、これらの現象(フェイク)が現れるのは、番組内で浜ちゃんも言っていたが、やはり、本当に同じ曲を何回も何回も歌っていると、そりゃ、正直、飽きてくるのだろう。

確かに、それには同情するが、それでも、"職業"として歌を歌っている以上、顧客のコトを考えれるならば、やはり、常に”普通”に歌ってもらいたい。
それが、たとえば、その歌手の完全なファンしかいない「リサイタル」の場ならともかく(とはいえ、会場の様子等を映した映像で、一緒に歌っている熱狂的なファン達ですら、フェイクの罠にはまっている場面をよく見るが)、たまにしか聞かないヒトが圧倒的な場(たとえば、紅白)では、なおさらだ。

もちろん、玉置さんのスゴさのエピソードとして出たくらい、フェイクが、歌のウマさひとつの指標なのは分かる。しかし、本当に自分は歌が上手だと思っているならば、別に、ことさらそれを誇示する必要はないではないか。

中にはフェイクが過ぎ、いつのまにか、元々原曲になかったセリフを勝手に歌の前につけちゃって、作詞家先生に激ギレされ、その歌を歌えなくなっちゃったりする訳である。

ちょっと違うか。

2014年7月14日月曜日

「彼は木星から来ている」

プロのサッカー選手になれるなんて、少し考えただけでも、とんでもなく狭い門をくぐり抜けてきたヒト達だというコトが分かる。

そんな選ばれし者達の中から、さらに、1国の代表チームに呼ばれ、最終的に23人の枠に入るなんて、一体、どんなヒト達なのか、全く想像すらできない。

そして、そんな本当に奇跡のような条件をクリアしたヒト達が32カ国分だけ、つまり、世界中から736人しか出場する権利を与えられない大会がW杯である。
しかし、そんなこの惑星を代表するサッカー野郎ばかりが集まった中にあって、さらに、全く別次元のプレーをする選手達がいる。

ネイマールしかり、ロッベンファンペルシしかり、コロンビアのロドリゲスしかり、そして、メッシしかり……

冒頭の発言は、今大会でアルゼンチンと対戦したナイジェリアケシ監督が、メッシを評して言ったコトバ。
実際には、木星という例えが適切なのかどうか、もうひとつよく分からないが、とにかく、他の選手達とは明らかにプレーのレベルが違うというコトだろう。

それにしても、W杯で試合に出ている選手達なんて、1日中年中無休でサッカーのコトばかり考え、我々には想像もできないような努力をし、これ以上ないほど自分を高めているヒト達ばかりのはずである。

それなのに、あぁ、それなのに、そんな自分達ですら、絶対にできないような、さらに上のプレーを目の前で見せられるなんて、一体、どんな気持ちなんだろう。

おそらく、悔しくて悔しくて、しょうがないだろう。
もしくは、自分が情けなくなるかもしれないし、何かを恨みたくなるのかもしれない。

もちろん、理論的には、

「そういう君には、メッシにはない別の能力がある。君は、そこを伸ばせばいいんだ」

というハナシなのだとは思う。

しかし、欲しいのは、そんな教科書的な慰めではない。
自分が欲しいのは、あの、メッシのプレーなのだ。

そして、実際には、そんなスター選手になればなるほど、CMで、ヒゲを剃りながらレベルの低いダジャレを言わされたり、はたまた、自分の彼女と一緒に全裸(ムスメ的表現では、"はだかんぼ")でファッション雑誌の表紙を飾ったりしないといけないので、サッカー以外のコトでも多忙になるだろうし、自ずと、練習時間も限られるだろう。

それなのに……である。

才能、と言ってしまえばそれまでだが、他の普通の(?)選手達からすれば、どうにも遣り切れないのではないだろうか。

まぁ、それでもまだ、スポーツなら、それまでにも十分に努力していても、さらに、(効果があるかは別にして)トレーニングの量を増やすコトは可能だと思う。
もっとシュート練習を増やそうとか、これまで以上に走り込もうとか、なにかしら、具体的なトレーニング方法が見つかるような気がする。

しかし、たとえば、現在、明らかに乱立気味のお笑い芸人等の場合は、どうなのだろう?

おそらく、お笑いの世界でも、悔しいけど自分よりおもろいと認めるヤツがいて、そいつよりおもろくなりたい(端的に言うと、「売れたい」)という気持ちが、誰しも強くあるはずである。

そのためには、もちろん、みんな努力を惜しまないだろうが、こういった分野の場合、スポーツ等と違って、素人でも想像できそうなベタな"努力"が分からない。

おそらく、「ネタを考える」というのがそうなのだろうが、なんとなく、お笑いの場合、そうやって、考えて考えてよいモノができるというよりは、もっと瞬間に浮かんでくるひらめきやアイディアのような気がする。

そういった、ある意味、不安定であやふやな世界の場合、どうやって目標を決めて、努力をしていくのだろう?

まぁ、ともかく、今回もW杯が終了した。

いつもの理由で、残念ながら、ほとんどの試合を見るコトができず、決勝で、今大会で初めてメッシを見たのだが、やはり、メディアを通じて聞いていたとおり、全く別次元のプレーをしていた。

現代サッカーにおいて、思わず、往年のラモスですらもうちょっと動いたぞと思う程の動かなさ。

試合も、結局、いつもの理由で、唯一点の入った延長後半だけ見られなかったのだが、終わって確認すると、そんなメッシが大会MVP

う〜む……
木星仕様。

2014年7月13日日曜日

「両チームともにPK戦狙いならば、最初からPK戦にすればよかった」

「芸能界のご意見番」ならぬ、「サッカー界のご意見番」(日本限定?)であるオシムの、アルゼンチンVSオランダの準決勝を評したひと言

「さすがにオシム。おもしろいコトを言うなぁ」

と思う反面、もし、そんなコトを言うなら、W杯自体、毎回、2年も3年もかけて予選なんかしなくても、最初からブラジルアルゼンチンウルグアイドイツイタリアフランスオランダ「神7」だけでやったらええやん、というハナシになってしまう(まぁ、少なくとも、他の多くの国からしたら、4カ国も出場して一勝もできない地域は、ホントにいらないだろうが)。

それにしても、サッカーのように、偶然審判のサジ加減ひとつで大きく勝敗が変わる競技において、結局、毎回、「ユージュアル・サスペクツ」(いつものヤツら)が残るというのには、やはり、それなりの理由があるのだろう。

多分、彼らは、「自分にはできる」と思っているのだ。

以前、オリンピック金メダルをとる選手というのは、他の選手と違って、自分が金メダルを取るコトを、全くこれっぽっちも疑っていないというハナシを聞いたコトがある。

「金メダルがとりたい」とか、「金メダルがとれなかったら、どうしよう……」とかいう発想はハナからなく、競技が始まる前から、

「えっと、自分は金メダルをとるんやけど、なにか?」

という感じらしい(しかも、マジ)。

そうやって聞くと、ちょっと痛い感じにも聞こえるが、しかし、結局は、そういうコトなのだと思う。

まだ、若干、実績が少ないため、上記の「神7」には含めなかったが、スペインなんか、前回大会までは、本当に毎回毎回……優勝候補に上げられながら、それこそ毎回毎回……「無敵艦隊、沈没」と書かれていた(どうも、その頃のスペインのイメージは、ラウールと重なってしまう)。

それほどのポテンシャルがありながら、どうしても上にいけなかったスペインだが、2008年のユーロで優勝したコトで、

「あぁ、オレ達も勝ってもいいんや」

と心から思えたことが、前回大会の優勝につながったのだと思う。

ことあるごとに「なるほどなぁ」と思うフレーズがある。

それは、

「あなた以外に、あなたにそれができないと言ったヒトはいない」

というモノ。

そうなのだ。
自分に”許可”を出していないのは、結局、自分だけなのだ。

2002年と前回大会でベスト16に残った日本だが、2回とも、見事に同じトコロで敗退してしまった。

よく、「そこで満足してしまった」という言われ方をしたが、多分、満足したというよりは、心のどこかで、

「オレみたいなモンが、ベスト8なんておこがましい」

と思っていたのではないだろうか(サポータも含めて)。

人間は、何らかの行動を起こすコトによって、今よりよい環境になるかもしれないコトが分かっていても、それでも、今より悪くなるかもしれないリスクを負うくらいなら、少なくとも、現状維持をしようとするらしい(ホメオスタシス(恒常性)とか言ったりする)。

ホメオスタシスは、もしかしたら、本能よりも奥深い生命維持の基本であるため、なかなか意識していてもそれを覆すコトは難しい。しかし、なんらかの理由で、それを破らない限り、新しい環境や次の段階には行けない。

そんな慣性、いや、惰性を、選手だけでなく、日本のサポータ全員が打ち破った時が、本当に日本代表が躍進する時なのだろう。

2014年7月8日火曜日

「人生は、絵と似ています」

写真

「自分の人生を
 一歩離れて見つめましょう。
 人生は、絵と似ています。
 -密着して一部を見ると
 雑然としていても、
 離れて全体を見れば
 うまく調和しているのです。」

恒例の、我が家がお世話になっている保育所にて。

先日、職場の休憩時間に、ほんの少しだけ上村松篁展を見てきました。

近くで見ると、本当に、単なる筆のあとなのですが、それが、たった数歩後ろに下がるだけで、信じられないくらい美しく、力強い動物達の一部になります。

毎日、ウマくいかないコト、思いどおりにいかないコトばかりでヘコタレそうになりますが、これも、何かもっと大きなモノの一部なのでしょうか……?

2014年7月6日日曜日

「プレッシャーはある。でも、それが重荷にはなっていない」

劇的な勝利をおさめたり、偉業を成し遂げたアスリートに対するテレビ局のアナウンサ等がするお決まりの質問で、いつも「なんだかなぁ」と思うものが2つある。

それは、

「今の率直な気持ちをお聞かせ下さい」

と、

「プレッシャはありましたか?」

の2つである。

前者は、アナウンサが丸投げで振っておきながら、選手本人が「嬉しいです」という、それ以外ないだろうという至極もっともな答えをしようモノなら、

「チ、なんだよ、もう少し気の効いたコメントしろよ」

という雰囲気がありありだ(偏見?)。

そもそも、相手は、コメンテイタやお笑い芸人ではなく、スポーツ選手なのだ(しかも、たいてい試合直後の疲労と興奮のピーク状態にある)。
そのヒトたちが自ら発せなくても、結果としておもしろい回答にもって行けるようにするのが、インタビューの専門家であるアナウンサ達の仕事だと思うのだが、いかがだろうか(ただ、最近は、当意即妙のおもしろコメントができるアスリートが増えているが)。

一方、後者の質問に関しては、「ありました」という答えが分りきっているのに、それを聞いて、一体、どうしたいのだろう。
そんなにスゴイ人でも、自分達と同じようにプレッシャを感じるただのヒトなんだと確認したいのだろうか?

しかも、それが、たまに、「いえ、全くなかったです」みたいな答えが返ってくると、今度は、突然、

「おいっ、空気読めよ!」

という雰囲気がありありなのだ(偏見??)。

まぁ、そんな「プレッシャ」である。

プレッシャというと、なんとなく、それこそ文字どおりに、周囲の人間から精神に与えられる強いチカラのような気がする。
しかし、誰1人として、他人の心の中に入って、物理的な圧力をかけるコトはできないはずである。

つまり、プレッシャというのは、自分が"勝手に"感じているコトなのだ。

そして、その中身は、「失敗したらどうしよう」という不安や焦り、または、「周りのヒトを失望させたくない」という強い義務感だろう。

もし、ここで失敗したら、どんなコトを言われるだろう、そして、何を失うだろう……という恐怖。
結果や行動に先立つその手の極度の心配が、結局、プレッシャの正体ではないだろうか。

しかし、ここで耳寄りな情報がある。
人間は、一度にひとつのコトしか考えられないらしい(苫米地さんは、一度に10冊の本を読むらしいが)。

もし、そうであるならば、「失敗したらどうしよう?」の代わりに、「成功したらどうしよう!」と考えるコトができれば、プレッシャを感じるコトはなくなるはずである。

「成功したら、どんなポーズを決めよう」「成功したら、どんなコメントをしよう」……(なんとなく、長嶋さんをイメージしてしまうが)

もちろん、それが簡単にできれば苦労しない訳で、人間も動物である以上、生存の危機にいたる方、つまり、失敗への対応によりリソースを割こうとするのは、必然であり、本能であるはずだ。

にもかかわらず、ピンチの場面で「成功したら、どうしよう!」と考えられるのは、やはり、特別なヒトに与えられた、特別な能力なのだろうか(単に、能天気なだけかもしれないが)。

冒頭の言葉は、ブラジル代表のエース、ネイマールの発言。

サッカー王国と言われる国で64年ぶりに自国開催され、優勝以外許されないW杯において、エースナンバをつける22歳。

それだけでも普通に考えれば、プレッシャでガチガチになりそうなものだが、初戦からキッチリ結果を出し、さらに、8強への勝敗を決定するPKの5人目のキッカとして登場し、なにごともなく決めてしまう……

そのあたりのコトは、こちらの記事にも詳しいが、やはり、なぜ、そんなにプレッシャに強いのだろうと思わずにはいられない。

おそらく、彼も、「成功したらどうしよう?」と考えられるタイプなのだろう。
そういえば、心なしか、いつも笑っている印象がある。

ただ、そんな彼でも、国歌斉唱時や、勝った試合の後で号泣するトコロを見ると、内面では非常に強いプレッシャとストレスを感じているのだろう。

そんな精神的なチカラの重圧を跳ね返しながら、楽しそうにがんばっている姿にとても感銘を受けていたのだが、暴力という物理的なチカラでその道を閉ざされてしまったのは、本当に残念で仕方がない。

バレージ岬くんバリに、決勝で劇的な復活を遂げてくれないだろうか……

2014年7月3日木曜日

「どこをピークにするかポイントなんですけど、まだ自分の中で答えは出せずにいます」

『メッシと滅私』(吉崎エイジーニョ/集英社新書/2014)という、ウマいんだかウマくないんだかもうひとつよく分からないタイトルの本を読んでいると(しかも、メッシについては、ほとんど書かれていない)、「過去の(W杯)優勝国は、すべてキリスト教文化圏の国」だというハナシが載っていた。

しかも、男子だけでなく、女子も含めて。

しかし、その中で、唯一の例外がある。
それが、2011年のなでしこだ。

日本のブラジルW杯が、あまりにもあっけなく終わった。

予選リーグの中盤くらいから、さかんに2006年との類似点が言われていたが、いくらなんでも、最終戦の対南米チームに対する大敗はないだろうと思っていたら、なんのコトはない、モノの見事にそこまで同じ結果になった(しかも、スコアまで一緒)。

今回の惨敗の原因は、一体、何なのだろう?

同じく一次リーグの惨敗後、「フィジカルが弱い」と、日本代表の弱点を分析し、いろんな意味で日本中をアっと言わせたジーコ元監督の意見はともかく、今回、長谷部は、列強との「サッカー文化の違い」のようなコトを言っていた。

確かに、それはあるかもしれない。
ただ、フィジカルにせよ文化にせよ、同じ日本なのだから、男子と女子でそこまで世界に対して違いがあるとは思えない。
なのに、なぜ、こうも結果が違うのだろう。

ところで、初戦のコートジボアール戦で「?」と思い、次のギリシャ戦で確信したのだが、今回の日本は、選手達の動きが重そうに見えて仕方なかった。

しかも、期待値が高いからか、本田長友香川あたりが特にヒドいように思えた。

ただ、コンディションに関しては、間違いなく最高の準備をしているはずなので、なおさら不思議だったのだが、ある時、ハタとその理由に気がついた。

その3人に共通するコト。
それは、常に、W杯での優勝を公言していたというコトである。

つまり、彼らはコンディションのピークを、初戦ではなく、7月14日決勝戦に合わせていたのだ!!

……と、やり場のない脱力感を、自嘲気味の冗談で紛らわしていたのだが、どうやら、あながち、冗談でもないらしい。

冒頭の発言は、W杯前のアメリカ合宿で「決勝まで7試合あるが、いつ、ピークをもってくるか」という記者の質問への本田の答えなのだが……

……今でしょっ!

まぁ、結果が出てから見れば、聞く方も聞く方だと思うが、それはともかく、ビックマウスと言われ、周囲に叩かれるコトを覚悟で大きな目標を掲げ、周りを巻き込んで自分を成長させていこうとする本田の姿勢は、以前からとても感銘を受けていたし、リスペクトもしていた。

しかし、それがいつの間にか、自分が自分のコトバに感化されてしまい、まだ、何もしていないウチから、すでに達成されたかのような錯覚を起こしていたのではないだろうか。

今回、日本代表の試合を見ていて、もう一つスッキリしないのは、おそらく、試合に負けたり、これまでのサッカーが見られなかったコトではないと思う。
それは、選手達の姿から必死さが伝わってこなかったからではないだろうか。

もちろん、それはこちらのとらえた方だし、選手達は、必死にやっていたと言うだろう。
しかし、同じく惨敗だった2006年の第3戦の中で、ひとり奮闘しているように見える中田の姿には、素直に感動できたモノだ。

一体、日本はいつから勝者になったのだろう。
我々はまだ、完全なチャレンジャーのはずである。

前回の南アフリカでは、大会前のテストマッチでの散々な結果を受け、直前の選手達のミーティングで、「俺達は弱いんだ!」という闘莉王の発言から浮上のきっかけを得たと言われている。

日本人の精神の特徴として、既に書いた「正々堂々」と並んで、もうひとつ、「謙虚」があると思う。

それが行き過ぎて自信をなくしたり、変に自己卑下をしてはいけないが、日本では、どんなに成長しても、いや、スゴいヒトになればなる程、「いえ、自分なんかまだまだっス。日々、これ精進っス」といった感じなのが、模範とされる姿だったはずである。

世界から賞賛された、試合後のゴミ拾いに見る公共性や献身性に加え、常に謙虚な姿勢で、正々堂々と戦う。

そんな日本文化の特徴は、決して弱みではなく、キリスト教文化が席巻する世界のサッカー界に対抗できる可能性があるコトは、既に、なでしこが証明しているのだ。

「やさしさは、想像力でひろがる 」

やさしさは、想像力でひろがる (全国キャンペーン)

残念ながらクレジットはされていないのですが、おそらく(というか、間違いなく)、義弟のアニメーション作品(今回、大きく制作手法が変わっていなければ、全て、手書きのはず)。

その作画能力はもちろんスゴいですが、なにより、この作品の流れ自体が、「想像力」のなによりの見本になっているような。

2014年7月2日水曜日

「日本代表を日本化させる」

今回と同様、W杯で悲惨な結果を招いたジーコ監督のあとを受け、2006年に日本代表の監督になった、イビチャ・オシムの就任会見での有名なひとこと。

まぁ、もし、これを言ったのがオシムでなかったら、

「はいはい、おじいちゃん、ごはんはもうちょっと待ってね」

と言われそうなトコロだが、監督が交代するたびに、その監督の得意とするスタイルに大きく変わり、全く継続性や積み上げがない、ブレまくる日本代表を見かねての発言だったのだろう。

バランス度外視で、惜しげもなくスター選手を並べたジーコに対し、就任直後、どちらかというと、それまであまり注目されていなかった選手を多数招集したオシムを見て、「日本化って、地味化なの?」と思ったモノだが、結局その後、オシム流日本化の完成を見るコトなく、道半ばで岡田監督にバトンタッチし、同監督の超現実路線によるW杯16強のあと、ザッケローニ監督が、今度こそ、日本人の特徴を生かしたサッカーを構築するべく、これまでの4年間の指揮をとった訳である。

おそらくそれは、日本人選手の特徴である俊敏な動きと技術、そして、勤勉さを最大限に活かし、パスで相手を翻弄し、スピードで圧倒するようなスタイルだったと思う。

しかし、今回、あのような結果になると、そのスタイルのツメが甘かったのが、そもそも、その方向自体が間違っていたのかが分からなくなってしまった。
選手達も「自分達のサッカーができれば(勝てた)」とくり返すコトも、そのコトに一層拍車をかけているだろう。

ところで、そもそも、その国のスタイルとか自分達のサッカーとは、ヒトに(しかも、外国人の監督に)指摘されたり、ましてや、考えた末に模索したり構築したりするモノでははずで、どんなに直そうとしても、隠しきれずに、常に"そこ"に存在しているモノだと思うのだが、いかがだろうか?

そして、それは、俊敏性とか器用さとかいった身体的な特徴はもちろんだが、それ以前に、もっと、その国の国民性とか文化とか、そういった精神的な部分の方がよっぽど大きく関与すると思うのだ。

Jリーグが始まった頃、主に南米からきた選手達を中心に、「日本人にはマリーシアが足りない」というコトが盛んに言われた。

マリーシアとは、「ずる賢さ」と訳されたりするが、例えば、大げさに痛がって時間稼ぎをしたり、審判の目を欺いて、ファウルをもらおうといったような行為だろう。

しかし、勝負や試合の場において、そんな文化がない、というか、そもそも、「卑怯」という概念で、そういった行為を最も嫌う日本人にとって、いくらサッカー強国のマネをしても、付け焼き刃感がハンパなく、未だに板についていないコト、この上ないのである。

それでも、さすがにこれはいいんじゃない?と思われる、1点リードで残り時間数分の際の味方同士でのパス交換ですら、どうも腰が据わっていない。

おそらく、ここで露骨な時間稼ぎをするのは、それこそ世界の常識なのだろうが、なんとなく、そんなセコい時間稼ぎをするくらいなら、最後まで精一杯攻めて、それでボールをとられてカウンタを受けたのなら、それはそれでしょうがないというのが、大半の日本人のメンタリティのような気がする。

そう、日本人の根幹は、「正々堂々・真っ向勝負」なのだ。

そして、もし、本当にそうであるならば、どんなにサッカーがウマい他の国の選手にバカにされようと、決して自分達のアイデンティティを恥ずかしがるコトではないはずである。
むしろ、それを躊躇しながら変に他国のマネをしようとするから、サブいコトになるのだ。

また、たとえW杯で惨敗しても、空港で暖かく出迎えるサポータが多いことを見て、もっと選手達を厳しく批判しないと、代表が強くならないと苦々しく言うヒトもいる。

自分自身、ある程度はそうだと思うが、しかし、そもそも、日本人には、どんなにヒドい結果でも、ヒトを足蹴ざまに罵倒したり、生卵トマトを投げつけるような文化はないのだ(某都議の事務所にはあったけど)。

それなら、いっそ、ホントは、こんなコトじゃ強くならないんだけどなぁ……なんて遠慮しながらするのではなく、もっと堂々とすればいいのだ。
(と思っていたら、こんな記事を見て、さすがにこれはちょっとと思ったが)

これらの例は、世界から見ると非常に甘く、つけいる隙だらけに見えるだろう。
また、成績が悪いのに、いつもフェアプレー賞ばかりもらってもしょうがないという意見もあるだろう。

しかし、たとえどんなに青臭くても、遠慮がちに迷いながら他国のマネをするくらいなら、そういった自分自身を受け入れ、それこそ、堂々と自分達のやりたいようにやった方がいい。
そっちの方が、よっぽどストレスも少ないだろうし、本来のチカラが出せるだろう。

という訳で、正々堂々の、なんなら一騎打ちで雌雄を決すべし!という日本人の精神性を最大限に生かし、それを突き詰めたスタイルを構築した場合、果たして、どんなサッカーになるのだろう。

……パワープレイ?

2014年7月1日火曜日

「とぉちゃん、おたんじょうび、おめでとぅ」

今朝、目を覚まして寝室からリビングに降りてみると、壁にこんモノが。

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先月のムスコの誕生日にも見たような気がしますが(笑)、その心遣いとユーモアに、本当に嬉しくなりました。

という訳で、今日は誕生日

その後、起きてきた2歳のムスメは、耳元で完璧に「Happy Birthday」を歌ってくれたあと、さらにちっちゃい声で(笑)、冒頭のひとことを言ってくれました。

そして、仕事から帰ってくると、ムスコからのプレゼントが。

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彼曰く、「矢印」「鉄砲」「天の川」とか。
一体、誕生日と、どんな関係が……

その他にも、朝から実家や(本当に)古い友人からもメールをもらい、さらに、職場でも非常に意外な人からお祝いを言ってもらいました。

毎年のコトながら、本当に、ありがたいことです。

ありがとう。

IMG 4940

2014年6月30日月曜日

「もう一度メンバーを選べるとしても、 同じメンバーを選ぶ」

本当の顧客は誰か?」という問題がある。

例えば、自分の仕事を例にすると、みなさんが(ごくごくたまに?)使われる図書館サイトの蔵書検索画面。
あの画面及びシステムは、専門のシステム会社が作っているのだが、当システム会社の顧客は、残念ながらみなさん利用者ではなく、図書館の職員になる。

なので、どうしても、実際のエンドユーザではなく、直接の顧客である図書館職員の希望に沿ったシステムになる。
もちろん、図書館職員は、利用者のニーズを的確に把握し、システム会社に利用者が望むようなシステムを提案・依頼するはずだから、本来はどちらが顧客でも、利用者にとっては関係ないはずである。

しかし、実際、使っていただくとお分かりのとおり、図書館のシステムって、本当に……(自戒)

2014年ブラジルW杯。
我が日本代表の、あまりもアレな成績を受け、ザッケローニ監督が早々に退任した。

ザックに関しては、就任当時から個人的に非常に好感をもっていたし、その発言から、その人間性を尊敬もしていた。今回の退任の会見等を聞いて、その思いを強くしたヒトは、おそらく、自分だけではないだろう。

で、そのザックの2010年の就任会見で、日本サッカー協会原博美技術委員長が、その選考基準にとして、「人柄」というのを盛んに強調していた。
よっぽど、某フランス人で懲りたんだろうなと思った反面、しかし、同時に強い違和感も覚えたモノである。

代表監督の選考基準で、人柄って、そんなに優先順位が高いモノだろうか?

そりゃ、いきなり練習中に突然マジギレして、選手に体当たり(!)をかましたり、そうかと思えば、表彰式で選手全員にキス(!)をして回ったりするようなエキセントリックな人物より、不調のセンタバックについて、「もし、世界中のDFから選んでいいと言われても、今の2人を選ぶ」と擁護したり、「私が見た中で、本当のキャプテンは、マルディーニとお前だけだ」と直接本人に伝えるような安定した精神の持ち主がよいコトは言うまでもないだろう。

しかし、代表監督の最も重要なミッションは、選手や協会の人間と、良好な関係を築くコトではなく、チームを強くし、本番の大会で結果を出すコトのはずである。

もちろん、その手段として、普段から周りの人間と円滑なコミュニケーションを取れるにこしたコトはないし、そういう意味では、常に一緒に仕事をするひと達にとっては、代表監督は、人柄が重要な要素になるだろう。

そして、ザックはその条件にピッタリの人物だった。
しかし、代表監督の、本当の顧客は、誰だろう?
そして、それを考えた場合、第一の条件は人柄になるだろうか?

今回の惨敗の原因は、いろいろあるだろう。
そもそも、選手だけでなく、我々サポータ全体が、日本代表の実力を過信していたという面は強いと思う(セルジオを除く)。
また、一部で言われているように、コンディションの調整に失敗したというのも事実かもしれない(ただ、いくらなんでも、「熱いフロに入っておけ!」というジーコ監督時代の熱さ対策よりはマシだったのではないかと思うが)。

しかし、たとえそうだったとしても、やはり、本番の試合において、出場する選手の選択や採用する戦術、または途中の選手交代で、もう少しどうにかなったのではないかと思わずにはいられない。

代表監督の本当の顧客は、我々、サポータのはずである(一銭も出してないけど)。
そうだとするならば、実際に接する人たちには申し訳ないが、新しい監督には、多少、人間的にはアレでも、というか、人柄なんてどうでもいいから(言い過ぎ)、チームを強くし、本番のW杯でチームを上位に導いてくれるようなヒトがよい。

で、冒頭の発言。

ご存知のとおり、ザック体制の最終ミーティングでのひと言らしいが、その、全く言い訳をしないメンタリティは本当に素晴らしいと思う反面、同じメンバを選べば、同じ結果になるんじゃないかと思うのだが……

まぁ、結局、どんなに優秀な監督でも、選手の代わりにピッチに立つことはできない訳である。
まずは監督、そして、選手選考を一から見直し、4年後は、喜びを爆発させたいモノである(出場できればのハナシだけど)。

2014年6月28日土曜日

「優勝できたらアフロを切っても良い」

自分にとって望ましくない結果が出た時に、さらに自分にとって過酷な罰を与えるコトを先に宣言するコトで、人びとの耳目を集めたり、自にプレッシャーをかけたりするコトがある。

 例えば、よく聞くトコロでは、「もし、○○できなければ、坊主になる!」あたりだと思うのだが、大抵は、当事者以外にとっては、本当にどうでもいいコトだったりする。
まぁ、それでも、「もし、次の試合で負けたら、引退する!」あたりだと、その選手のファンにとっては一大事かもしれないが(ちなみに、「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎さんは、未だに現役選手らしい)、「もし、賞が取れなければ、離婚する!」と言われも(そして、実際に離婚されても)、「あぁ、そうですか」と、死んだ目で答えるしかない。 

とはいえ、それでも、自分にとってネガティブな結果が出た時に、さらに、ネガティブなコトをして悔しさを表現したり、謝罪の意を表明しようというのは、まだ、納得できる行動である。

そんな中での、冒頭の一節。

これは、今回のブラジルW杯に出場しているベルギーマルアン・フェライニ選手発言。 同選手はアフロヘアーが有名だそうで、さらに、今回のベルギーチームは史上最強とも言われており、実際、優勝も狙えるという評判の中で飛び出した言葉だそうだ(ちなみに、どこかの国の代表も、史上最強と言われていた)。

だが、W杯優勝というのは、おそらく、非常にポジティブ(それも、とびきりの)なコトだと思うのだが、それによって、自慢のアフロを切るという、おそらく、自分にとってかなりネガティブな行動をとるというには、一体、どういう論理なのだろう?
「(これだけ期待されているのに)優勝できなかったら、(お詫びのために)アフロを切る」なら、まだ分かるのだが…… 

で、この手の「誰も頼んでいない自己罰」系のハナシを聞くと、いつも思い出す件がある。

確か、大学1回生の時だったと思うのだが、当時、TM NETWORK(TMN?)が「DIVE INTO YOUR BODY」という曲で「ザ・ベストテン」にランクインした際、木根さんが、突然、「もし、この曲が1位になったら、サングラスをとる!」と言い出したのだ。

これも、まさに、「ポジティブな結果に対するネガティブ行動」。
しかも、さらに、そうする理由が、「ファンに夢を与えるため」…… 

その発言を紹介していたトットちゃんも、さすがに「?」なテンションだったように記憶しているが、自分自身、その発言を聞いてから20年以上経った今でも、ことあるごとにこの発言を思い出し、

「1位を獲得する → ファンに夢を与えるために、サングラスをとる」

という論理が理解できずに苦しんでいる。

幸いというか案の定というか、その次の週以降、同曲は1位になるどころか、結局、ランク外になってしまい、その件はうやむやになってしまったのだが、今回、このハナシを書くために、ちょっとネットで調べていると、その後、木根さんは、何度も普通のメガネで(つまり、サングラスをはずして)テレビ出演していたらしい。

そのコトで、FANKS達に、夢は与えられたのだろうか?

……というか、アフロにせよ、グラサンにせよ、メンドクさくなってやめたいんだったら、別に、変な理由をつけずに、黙ってやめればいいのに。

【追記】(2014.07.12)
「W杯優勝したら切る」と公約のフェライニが自慢のアフロをバッサリ – サッカーキング


やっぱり、切りたかっただけやん!!

マンUのフェライニが変身、さらば、アフロヘア! — BallBall


【追記】(2014.08.01)
マンUのフェライニ、アフロヘアー復活で新シーズンを始動 | マイナビニュース


どっちやねん!!